街づくり、家づくりのパイオニアとして

三菱地所のスタートは1890年(明治23年)、三菱が明治政府から丸の内一帯の払い下げを受けたことに始まります。
1894年(明治27年)「三菱ヶ原」と呼ばれたこの荒れ野に我が国最初の近代オフィスビル「三菱一号館」が誕生。さらに1923年(大正12年)には丸ビルが落成します。
現在の丸の内オフィス街のルーツともいえる、当時「一丁ロンドン」と呼ばれた赤煉瓦造りの街づくりは、日本における都市開発の先駆けでした。以来、三菱地所は昭和の高度経済成長期に対応した「丸の内改造計画」や、1998年(平成10年)から進めている「丸の内再構築」など、途切れることのない開発を通じ、1世紀以上にわたり先進的な街づくりに取り組んできました。

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こうした街づくりのなかで忘れてはならないのが、三菱地所の設計力です。前身である三菱時代から丸の内建築所を設置し、上野博物館(東京国立博物館の前身)や、鹿鳴館を手がけたイギリス人建築家ジョサイア・コンドルを迎えました。
その後も、丸の内建築所とコンドルが魅力的な近代建築を数々手掛けてきたことからもわかるように、三菱地所は単なる開発者ではなく、「上質で普遍的なデザインを大切にしながら、人々に愛される街づくり」に力を注いできたのです。

1世紀半にわたり受け継がれる「想い」

一方で、コンドルは一般住宅も手掛けています。なかでも重要文化財の岩崎久彌邸は日本の伝統的住宅と一線を画す本格的な西洋木造建築として、黎明期にあった日本の住宅建築に大きな影響を与えました。三菱地所はここでも日本の新しい文化を切り開いていきました。また、街づくりの先駆者として、東京、丸の内のような都市開発だけにとどまらず、1972年(昭和47年)には、仙台の「泉パークタウン」など、大規模な住宅地の開発も手掛けてきました。

1975年(昭和50年)、三菱地所内に「住宅事業研究室」を設置。日本の歴史、文化、ライフスタイルに根ざした品格のある住宅建築を開始しました。1979年(昭和54年)には、「真に価値あるもの」という想いを込めて「ASSET」と名付けたブランドを発表。そして、「ASSET」のもうひとつのテーマであった「住む人の感性を表現できる家」を実現するため、趣味・趣向に合わせた感性タイプ別のデザイン展開を行いました。
今でこそ一般的に考えられるようになったライフスタイルと家の関係をこの時代からテーマとした「ASSET」は、その先駆けと呼べる存在であったと言えるでしょう。

1984年(昭和59年)三菱地所の注文住宅部門は三菱地所ホーム株式会社として独立します。1989年(平成元年)に全館空調「エアロテック」開発のきっかけとなる、高齢化社会に対応する住宅の開発をスタート。1991年(平成3年)には「全館冷暖房換気の高齢化社会対応住宅」第1号を竣工。以来、スタンダードテクノロジーとなった全館空調システム「エアロテック」(2008年(平成20年)に注文住宅へ標準仕様化)、2×4工法をさらに進化させた「2×NEXT(ツーバイネクスト)構法」など、家をつくる人たちの「想い」を、より自由に、より快適にする独自技術を開発しつづけています。

エアロテック、ORDERGRAN

三菱地所ホームは創業以来、家づくりの理想を追い求めてきました。それは人のためになり、街のためになる住まいを追求する姿勢。

良い街は人に愛され、人に愛される街は良い街になる。そして、家族に愛される家は世代を超えて、魅力的な街の一部として歴史を刻んでいく。

「人を、想う力。街を、想う力」。
点ではなく面、流行ではなく時代を見つめてきた三菱地所グループの精神は、三菱地所ホームの家づくりそのものなのです。