第4話 「熱」は目に見えない
「キーワードは『ラジエター』だった」前回のエッセイに、そう書いた。ラジエターは冷却装置の総称でもあるらしいが、わたしがイメージしたのは、もっとも一般的な、自動車のラジエターだ。「熱交換器」の1つ、とも言えるのだそうだ。熱交換器はエアコンにも使われている。それで、熱交換というのは、温度の高い流体から低い流体へ熱エネルギーを移動させることを意味する。
ちなみに、熱力学という学問があり、エアロテックの秘密を解き明かすにはきっと必要だろうと、資料として何冊か買ってみたが、すぐに匙を投げた。物理学でも特別な分野らしくて、素人には、『分子細胞生物学』よりもはるかに難解で、しかも馴染みが薄く、手に負えなかった。ただ、熱力学には3つの法則があり、その2つ目はわかりやすい。「熱は高温から低温に移動し、その逆は起こらない」というものだ。
このエッセイの1回目「子どものころの寒い冬」に「湯たんぽ」が出てくる。昔は、睡眠時の暖房はだいたい「湯たんぽ」だけで、アルミや磁器の容器に熱湯を入れ、寝るときに布団の足下に差し入れる。熱湯なので、セットしたばかりの湯たんぽは熱すぎてタオルを巻いたりしていた。冬に母とベッドにいる写真があるが、当時は、湯たんぽは欠かせなかった。だが、しだいに湯は冷めていって、目覚めるころには冷たくなってしまう。それは、熱力学の第2法則によるものだ。熱は高温から低温に移動する。だから「湯たんぽ」の熱湯は、周囲に熱を放出し、いつしかただの冷たい水になってしまう。

さて、なぜラジエターがキーワードとなったのか。自動車のラジエターはエンジンの冷却装置のメインパーツだ。エンジン内にはラジエター液の通路がある。ラジエターを流れるのはただの水ではなく、不凍、防錆などの成分が含まれる液体だ。ラジエター液はエンジン内を通って、熱くなるが、前方からの走行風と、後方にある冷却ファンで冷やされる。ラジエターのコアは、表面積を大きくするために多数のパイプでつながれ、さらに放熱効率を高めるためのフィンが取り付けられている。
フィンは、薄く平たい板状で、何枚も、縦に並ぶ。外から見ると、蛇腹ののように見えたり、あるいはびっしりと並んだ細かい穴のように見えたりする。風で冷やすには、表面積が大きい方が効果的だが、大きなものを自動車に積むわけにはいかないので、言ってみれば、「小さく切って並べ直されている」ということになる。冷やされたラジエター液は、エンジン内に戻り、エンジンを冷やす。
そのラジエターコアに似たものが、エアコンの室外機、室内機内にもある。エアコンでは、当たり前だがラジエター液ではなく、フロン代替物が入っている。熱を受け取るために、ラジエターコアと同様に、フィンを使って表面積を大きくしてある。
エアコンは、わたしが単純なことに気づかなかったために、面倒な「謎」となった。「小説の資料として『分子細胞生物学』を読み終わったあと、ウイルスという生きものの大きさが、視覚的にイメージできたような気がした」と前回のエッセイに書いた。わたしは、エアコンの原理についても「視覚的に」イメージしようとした。
そういった影響もあって、わたしは、「ラジエター液がエンジンを冷やす」と思っていた。もちろん間違いではないし、ほとんどの人がそう思っているはずだ。ただ「エンジンを冷やしているのはラジエター液」という常識的な思いは、エアコンの原理への接近を妨げる。余計な「謎」を生んでしまう。「ラジエター液がエンジンを冷やす」のではなく、「エンジンの熱がラジエター液に移動する」のだ。
考えたら当然だが、「熱」は目に見えないので、イメージしづらい。しづらいというか、イメージできない。「熱」について考えるとき、ウイルスと違って視覚化できないのだと気づくのがむずかしかった。たとえば、このエッセイの2回目「夏の思い出」に、行水について書いた。夏の暑さを緩和してくれるのは、視覚・感覚的には「たらいに入った冷たい水」なのだが、熱力学の第2法則に照らし合わせると、ラジエター液と同様に、「身体の熱」が「たらいの水」に移動するのだ。「たらいの水は」体温より冷たい「熱」、ということになるが、そういった表現に、わたしたちは馴染みが薄い。
たらいの水も、冷やされたラジエター液も、冷たいので、「熱」という言葉が不適当に思えてしまう。だが零下の外気も大気熱を持っている。温度、温感を表す言葉が「熱」しかない。それもやっかいだ。
エアコンは「熱」の移動だけで成立している。エアロテックは、部屋ごとに温度を調節できる全館空調システムで、その設計概念や技術は唯一無比だが、「熱の移動」という基本には変わりがない。「熱の移動」は、「熱交換器」「圧縮機」「膨脹弁」「ファン」などハイテク技術に支えられている。熱を媒介するフロン代替物が室外機と室内機を結ぶ形で循環している。フロン代替物が「気化」されたり、「液化」されて、高低の「熱」を作り出す。ヒートポンプサイクルと呼ばれているが、「冷媒」と、読んで字のごとく、あくまで媒体であり、主役は「熱と空気」である。
また中途で枚数が尽きた。次回は「熱交換器」「圧縮機」「膨脹弁」「ヒートポンプサイクル」などの説明を加えて、エアコン、及び可能ならエアロテックの、「極めてシンプルな原理を極めて精緻なディテールで行っている」ことを明らかにしたいと思います。
(続く。不定期に連載します)